大学に行く意味
今日は特に何も無い1日だった
2限と3限に出て放課後はインターンで労働し、帰宅して河原を走って友達とラインをしたら終わった
今学期、私は元々は火曜の一限をとっていた
あまりの授業の難しさに単位を取れる気がしなくなって履修を取り消したのだ
同じ科目を取っていた友達はこう言っていた
「課題を出しても点は加算してくれないし、期末は難しく、ほぼテスト一発で決まるため、あの教科の評価はとても厳しい。あれで二単位はコストパフォーマンスが悪すぎる」
私は大体その友達と同意見なので、履修を取り消すことを決めた
しかし果たして、取れる単位数の分より多く学ぶということは、コストパフォーマンスが悪いということなのだろうか
同じ時間の授業でより多くのことを学べるという意識の高い者はいないのだろうか
文系の友達には「取りたい授業がないので今期はあまり大学に行かない」という人がいる
理系にはそういう人は見られない
授業は取りたくて取るものではなく、卒業のために取るものという認識が広まりすぎなのではないかと推測している
もちろん卒業までの取得単位数の違いやそもそも一単位の重みが違うということも関係しているだろう
私達の大学では文系の授業をいくつか取らないと卒業できないため、一般教養のような授業に私も出ているが、理系の専門科目に比べ精神的苦痛が少なすぎる
まず書いてあることが理解できる
専門科目は何語なのかもわからない
数学も物理も意味わからんし私が理系に向いていないだけかもしれない
ネガティブなことばかり書いたがしかし、文系の科目も理系の専門科目もどうせ同じ90分の授業を受けて2単位もらうことには変わらないのだ
それならば自分の理解できないほど高度なことを学び、自分の知識にすることもまた大学に通う意味となるのではないだろうか
単位取得という点ではコスパの悪い難解な授業も、自らの学習という点では逆にコスパが高いのではないだろうか
そしてそんなに意識が高くない私は今期も血反吐を吐きながらせっせと単位取得ゲームに参加するのであった
以上です